2012年10月31日水曜日

イスラエルへ

エルサレム、それは、よくまとめられた町として建てられている
そこに、多くの部族、主の部族が、上ってくる。
イスラエルのあかしとして、主の御名に感謝するために。
                             詩篇122:3,4
今、イスラエルチームがでています。
去年、イスラエルチーム中の光輪です。
イスラエルと同じように、天のしるしを見ることができてとても嬉しかったです。
今年も、神様に期待しています。チームと心を一つにして祈ります。
守られ、祝福されますように!

2 件のコメント:

ねこにゃんさん さんのコメント...

題 : キリスト教聖書は、必然的に、当然として・・・
.
 キリスト教聖書は、必然的に、当然として、すぐに今の姿に
なったのではない。
 今現在、キリスト教にあって権威のある方達も言います「極
めて疑わしい基準によって、古代の文献類から寄せ集められて
作られた」と。
 そして、その選択する基準についても疑問を言う。
 「『使徒的権威』『教えの正統さ』などの基準も疑わしい限
りだった」と。
 故に、「それ以後の歴史は、その選ばれてしまった文献集(
聖書)の権威付けをする歴史であった」と。
 偽名で書かれた手紙をどう扱うか?・・の問題など。
 偽とするか、偽パウロとするか、いずれにしても、宗教的に
良い形にしたいという意思が働く、そこには個人的な意思が入
っていく、入り込まざるを得ない状況の中に置かれる。
 もうここまで来ると訳者が宗教を作っていると言える。
 訳者のキリスト教である。
 そこには既存の宗派、大小を問わず、それらの宗派には都合
の悪い訳出になる所も出て来る。
 それは、「キリスト教の原点には、今の宗派と違うもの・考
え・教義があった」という事。
 故に、それらは、必然的に生じる、実態・事実の結果なので
ある。
 キリスト教の教義は、この様な薄氷の上に存在しているもの
なのである。
 この様な教義から、過去に多くの戦争が生まれた、多くの方
々の命が失われた、そのことが、悔やまれる。
参考URL: http://blog.goo.ne.jp/hanakosan2009 /
  URL: http://32983602.at.webry.info/

nozomi さんのコメント...

貴重なご意見をありがとうございます。まだまだ学ばなければならないことが多いいようです。私たちは、聖書・66巻は、誤りなき神の言葉と信じ受け取っています。神様は愛のお方です。私たちは、生きておられる神様の守り、助け、めぐみを日々体験しています。これからも学びつつ、歩みを続けて参りたいと思っています。