2011年2月22日火曜日

彼杵にて


 ここは、リーダーのペテロ・バプチスタ神父が殉教をまえにして、これからの日本の将来を思って涙した所です。その涙の意味を知らない役人に、死ぬのが怖くて泣いていると誤解されていることを知ると、「まだキリストを知らない人に、つまずきを与えたくない」と涙を止めたそうです。
 殉教、迫害のあった場所、関係する場所・・・思えば暗く、悲しみの場所のような気がするのですが、ここは底抜けに明るく、穏やかな空気が流れているのです。不思議な場所です。
                               『殉教』(イザヤ木原真著)より

        なくなる食物のためでなく、いつまでも保ち、
       永遠のいのちに至る食物のために働きなさい。
                            ヨハネ6:27

2011年2月12日土曜日

山本村で


 ここは、四百数十年前、26聖人の中の一人、ルドビゴ茨木が「わしの養子になれ」という寺沢半三郎の誘いを断って、殉教を選んだ佐賀県唐津の山本村です。12歳の少年が「キリストを捨て、永遠のいのちをつかのまの命とかえることはできません」「お奉行さまこそ、キリストを信じて私と一緒にパライソである天国へ参りましょう」と逆に福音を語り、伝道するのです。
 本気で信じているでしょうか。天国を、永遠の命を、天に報いがあることを。イエス・キリストの救いを、十字架を、赦されていることを。・・・思いを探られます。日々、主を選び続けることができるでしょうか。
                      『殉教』(イザヤ木原真著 み声新聞社)より

         けれども、私たちの国籍は天にあります。
                               ピリピ3:20