2010年8月24日火曜日

クリスチャンとしての証


 先日、ある方の召天式(キリスト教式のお葬式)がありました。キリスト教式ですることができるのはうれしいですね。救われたクリスチャンは確実に天国に行くことができます。だから、別れは悲しく、さびしいものですが、天で再会できるという希望、確信があります。私は父母と天で再び会うことができます。実家が九州でなかなか思うように帰れず、もどかしく、とても遠くに感じたものですが、今では、逆にとても近くに感じられ、喜びがあります。主よ、父母を救ってくださり、天へ導いてくださったこと、感謝いたします。あなたの大きな愛と憐みを感謝いたします。私の最後のセレモニーは、キリスト教式で、そしてキリスト教式の墓地を、と祈り求めています。クリスチャンとしての証ができますように。

     まことに、まことに、あなたがたに告げます。
    一粒の麦がみし地に落ちて死ななければ、それは
    一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
                             ヨハネ12:24

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