2010年8月31日火曜日

主の恵み


 ここ尾張地方は暑い日が続いています。今年の夏は水をいつもより多く飲み、この暑さから守られています。以前、子供達が運動部で夏休みも練習をしていた頃、どうしても最後に味付けが濃くなるのです。気をつけていても濃くなってしまうのです。でも何も言わず食べてくれていました。我慢してくれているのだと思って、聞いてみました。すると、ちょうどいいというのです。後から知りました。塩分が必要だったことを。神様は私たちの生活の細部にまで御手を置いてくださり、配慮してくださっていることを知り、感謝しました。私たちの思い願いをはるかに超えて最善をなしてくださっています。すばらしい神様、ありがとうございます。

       わがたましいよ。主をほめたたえよ。
       私のうちにあるすべてのものよ。聖なる御名をほめたたえよ。
       わがたましいよ。主をほめたたえよ。
       主の良くしてくださったことを何一つ忘れるな。
       あなたのいのちを穴から購い、
       あなたに、恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、
       あなたの一生を良いもので満たされる。
       あなたの若さは、わしのように、新しくなる。
                           詩篇103篇:1~5

2010年8月30日月曜日

リバイバルの種


 この尾張の地域にも殉教者が数多く出ました。四百数十年前の宣教の中心地の一つで、信仰が武士階級や農民の間にも浸透していきました。棄教した者も多くでましたが、、殉教者もそれ以上にでています。名前すら消され、残されていない人もいます。まだ、明らかにされていない箇所もあります。不思議です。真実を教えられていなかったのですね。その場所に十字架が立てられるといいな・・・と思っています。殉教はリバイバルの種といわれています。その方々の祈りに神様は答えてくださいます。有数の殉教国ともいわれている日本を神様は愛してくださっています。私たちは愛されています。神様は救いの御手を置いてくださっています。とてもうれしいことです。

        これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。
       約束のものを手に入れることはありませんでしたが、
       はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり
       寄留者であることを告白していたのです。
                            へブル11:13

2010年8月24日火曜日

クリスチャンとしての証


 先日、ある方の召天式(キリスト教式のお葬式)がありました。キリスト教式ですることができるのはうれしいですね。救われたクリスチャンは確実に天国に行くことができます。だから、別れは悲しく、さびしいものですが、天で再会できるという希望、確信があります。私は父母と天で再び会うことができます。実家が九州でなかなか思うように帰れず、もどかしく、とても遠くに感じたものですが、今では、逆にとても近くに感じられ、喜びがあります。主よ、父母を救ってくださり、天へ導いてくださったこと、感謝いたします。あなたの大きな愛と憐みを感謝いたします。私の最後のセレモニーは、キリスト教式で、そしてキリスト教式の墓地を、と祈り求めています。クリスチャンとしての証ができますように。

     まことに、まことに、あなたがたに告げます。
    一粒の麦がみし地に落ちて死ななければ、それは
    一つのままです。しかし、もし死ねば、豊かな実を結びます。
                             ヨハネ12:24

2010年8月16日月曜日

自転車が戻ってきました


 2,3日出かけるために、駅まで自転車に乗って行きました。鍵をかけて駐輪場に置いて行きました。帰りは夜になり、家人が車で迎えに来てくれたので、次の日、日中に鍵を持ってとりに行きました。が自転車が見つかりません。名前をかいてなかったし、もしかすると・・・と言う思いがあったので、やっぱりと思いながらもこんな時は、そうです。感謝です。自転車がないことを感謝します。名前を書いてなかったことを感謝します。鍵を二重ロックにしなかったことを感謝します。家人に叱られそうで、無くした事を言えなくて感謝します。・・・感謝しつつ歩いて戻りました。もう一度日中に探しに行ってみようと思っていたら、ある日、家人が自転車を持って帰って来ました。私が置いた所にあったそうです。?!神様、ありがとうございます。感謝する恵みをいただきました。よく、失敗します、ドジをします、でも感謝をしていくと、神様がすべてをカバーしてくださいます。神様の深い愛、感謝の恵みをいただいています。

      神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々の
     ためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、
     私たちは知っています。
                                 ローマ8:28

2010年8月7日土曜日

心の叫び


 心の叫びに気づいていますか。問題が起こった時、心が満たされない時、何か探し物をしているとき、普通に幸せを感じている時でさえ、本当の自分探しをしていました。無理にこうだと思い込ませたり、このままではいけないとわかっていても何もできず、あきらめさせたり・・・。ありのままをありのままで受け入れると言うのは、なかなか難しいものですね。
 私たちの創り主は、すべてご存知で、私たちを愛し、受け入れてくださっています。それを知った時から、少しづつ現実を受け入れることができ、愛されていることに気づき始めました。感謝をしていくと、過去のこれさえなければということでさえ、益にかえられるとみ言葉で約束してくださっています。もっと神さまを信じて一緒に感謝をしていきませんか。祝福を祈り求めていきませんか。私たちの祈り叫びに必ず答えてくださいます。神さまは助けることができます。救うことができます。四方八方ふさがりだと思っても、あきらめないで!必ず、神さまは最善の人生を導いてくださいます。

      神は彼らの嘆きを聞かれ、アブラハム、イサク、
     ヤコブとの契約を思い起こされた。
      神はイスラエル人をご覧になった。神はみこころを
     留められた。
                        出エジプト2:24,25