2009年11月1日日曜日

10月31日


 実家から父の法事をするから帰ってくるようにと連絡がきました。久しぶりに兄姉の顔を見たいと思いましたが帰るのをやめました。日曜日は礼拝の日。皆が救われるように祈ってきました。父も母も天国です。天で全員そろうことを信じ、神様に期待します。父は浄土真宗大谷派の第15代住職でした。大好きな父でした。その父が病気になって、体が思うように動かなくなった時、死にたいと言ったのです。私にはショックでした。あれほど一生懸命に寺のため、人のため、家族のために働いて、人は救えても自分は救われないのか、今まで父のやってきたことは何だったのだろうかと思うようになりました。それとともに私も苦しさの中でもがいている時クリスチャンと出会い、教会に導かれました。聖書の神様、イエス・キリストと出会い私は救われました。心が虚しさを感じた時、経本を読んだり、仏教説話集を読んで心を満たそうとしていましたが、満たされることはありませんでした。今は、祈ったり、聖書を読んだり、賛美をしたり、教会に行ったりすることで喜びがきます。心が満たされます。嫌な問題から逃げずにすみます。父が苦しまなかったら、私は仏教から目が、心が離れなかったでしょう。神様は哀れみ深いお方です。17年前の10月31日、父を天国に導いてくださいました。

     主よ。あなたがもし、不義に目を留められるなら、
     主よ、だれが御前に立ちえましょう。
     しかし、あなたが赦してくださるからこそ 
     あなたは人に恐れられます。
                      詩篇130:3,4