2009年7月12日日曜日

音吉(1)


 音吉は、1832年(13歳)に見習い船員として宝順丸に乗り込み江戸に向かう途中遭難した。1年2ヶ月漂流後アメリカ西海岸に漂着した。乗組員14人のうち生き残ったのは、音吉、久吉、岩吉の3人のみであった。マカ族に保護された後イギリスの会社に引き取られ、マカオで日本に帰る機会を待ってる間に、宣教師ギュツラフの聖書和訳に協力した。“モリソン号”で浦賀沖、鹿児島まで来るが異国船打払令により上陸できなかった。『海嶺』のクライマックス・感動のシーンでもある。この後音吉はギュツラフの元で通訳としての訓練を受け、上海、シンガポールで貿易の仕事をしながら漂流民を助けたと言う。
                     『音吉の足跡を追って』 美浜町企画開発課発行
                     「産経新聞」 日本人の足跡 にっぽん音吉①~⑤ 
                     『日本に帰れなかった男たち』