2009年6月11日木曜日

コンスタンチノ(6)


 尾張(美和町)花正地区で蒔かれた福音の種は、清洲(現清須市)、一宮、犬山、江南、美濃(岐阜)へと広がり、根を張っていった。最初、尾張藩はキリシタンの取り締まりは消極的であって、緩やかであったそうで、そのためキリシタンは増えていき九州についで多かったと言う。が、取り締まりも次第にきびしくなり、何千人という殉教者がでた。宗門改めが年2回実施されたのは天草と尾張だけだそうだ。
       『青山玄教授退任記念 キリシタン論文集 歴史・文化・言葉』より
       『美和町史 人物 一』より