2009年5月7日木曜日

コンスタンチノ(2)


 織田信長が活躍していた安土桃山時代、来日した宣教師ルイス・フロイスが記録した『日本史』は、フランシスコ・ザビエルの来日から26聖人の殉教後フロイスの死去(1597年7月)までの日本キリスト布教史を記録している。その中に日本名不詳のコンスタンチノという名がでてくる。奈良の大和・沢城の城主、高山飛騨守(高山右近の父)の下で(1564)洗礼を受けた。城内の教会の守番をしていく中で、その教えを学んだ。沢城が敵に奪われ、1567年頃、コンスタンチノは故郷花正に戻り自宅に祈祷所を設け、伝道を始めた。1580年頃には信者が600人に増え、キリシタン村として有名であったらしい。フロイスは彼のことを花正地域の「全キリシタンの父であり育ての親とも称されるべき古参のコンスタンチノ」と言っている。日本で最初の殉教者ー26聖人ーの中に尾張出身の人がいる。興味は尽きない。
                         『美和町史 人物 一 』より
                                                                ※ 年代に間違いを見つけましたので
                        訂正させていただきました
                       大変失礼いたしました